同潤会とは何だったのか?震災復興住宅が近代建築の伝説となった真相
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同潤会の発足を紐解くには、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災まで時計の針を巻き戻す必要があります。死者・行方不明者10万5,000人超、東京市内の約6割の家屋が焦土と化したこの未曾有の国難において、最大の被害原因となったのが木造密集住宅の連鎖的な大火災でした。都市の不燃化と被災者のための恒久的な住まい確保は、国家存亡をかけた最重要命題となったのです。
この危機に対し、世界各国や国内から寄せられた莫大な災害義捐金のうち、1,000万円(当時の国家予算規模から換算すると現在の数百億円規模に相当)が拠出され、内務省の主導のもとで1924年(大正13年)5月に設立された認可法人が「財団法人同潤会」でした。「同潤」という名称には、大震災で被災したすべての人々に「あまねく潤いを行き渡らせる」という崇高な祈りが込められていました。
事業の陣頭指揮を執ったのは、後に東京帝国大学総長を務め、「内田ゴシック」と呼ばれる独自の建築意匠で知られた建築学者・内田祥三や、耐震工学の先駆者である佐野利器らです。彼らは木造バラックが急造されるなかで、「再び火災で失われない強靭な都市居住空間をつくる」という強い意志のもと、当時としては前例のなかった鉄筋コンクリート造集合住宅(RC造アパート)の標準化に着手しました。これが、日本における近代集合住宅の原点となる「同潤会アパート」の始まりです。