尾崎行雄はなぜ憲政の神様なのか?63年連続当選の真相と波乱の生涯

尾崎行雄はなぜ憲政の神様なのか?63年連続当選の真相と波乱の生涯について見逃せない 注意点を分かりやすく解説いたします。

尾崎行雄の名を日本中に轟かせた最大のハイライトが、1913年(大正2年)2月5日の衆議院本会議で行われた桂太郎首相に対する内閣不信任案の弾劾演説です。

当時、長州閥の領袖であった桂太郎は、自らの政権維持のために天皇の「詔勅(しょうちょく)」を政治利用し、議会の反対派を押さえつけようとしました。これに対して尾崎は、議場が割れんばかりの怒号と歓声に包まれるなか、壇上から歴史に残る言葉を放ちました。

「彼らは常に口を開けば忠愛を唱え、あたかも忠君愛国は自分たち専売特許であるかのごとき態度をとる。しかしその実態は、常に玉座を胸壁とし、詔勅を弾丸にかえて政敵を倒そうとするものではないか!」

天皇の権威を盾にして自らの専制政治を正当化する藩閥政府の欺瞞を、「玉座を胸壁(盾)とし、詔勅を弾丸(武器)とする」という鋭利な比喩で見事に切り裂いたのです。この演説は議場のみならず、議事堂を取り囲んでいた数万人の群衆を熱狂させました。結果として桂内閣はわずか53日で総辞職に追い込まれ、これが第1次護憲運動(大正政変)の決定打となりました。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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