なぜ羽咋にNasa実機が?コスモアイル羽咋の真相と見どころ
なぜ羽咋にNasa実機が?コスモアイル羽咋の真相と見どころとはどんな影響があるのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。
コスモアイル羽咋を語る上で、誰もが最初に抱く最大の謎が「コスモアイル羽咋 本物 理由」です。国内の科学館にある宇宙展示の多くは、実物大のレプリカ(縮尺模型)であることが珍しくありません。しかし、羽咋市に鎮座する機体の数々は、実際に宇宙空間へ打ち上げられた実機、もしくは宇宙飛行と同等の過酷な環境試験をクリアした正真正銘のフライト予備機です。
この前代未聞のコレクションが能登の地に集まった発端は、1980年代に遡ります。羽咋市には古くから、眉丈山(びじょうざん)付近に円盤状の飛行物体が飛来したという民話「そうはち山伝説」が残されていました。「そうはち」とは、仏具のシンバルに似た銅張りの打楽器のことです。江戸時代の怪異記録『羽咋郡怪談記』にも空飛ぶ円盤の目撃談が記されていた歴史から、過疎化に悩む羽咋市は「羽咋市 UFOの町 経緯」として知られる一大町おこしプロジェクトを始動させました。
当時、羽咋市役所の嘱託職員として抜擢されたのが、後にテレビ番組のUFO特集プロデューサーや「スーパー公務員」として名を馳せる高野誠鮮(じょうせん)氏です。高野氏は「単なるオカルトイベントで終わらせては未来に残らない。本物の宇宙科学を学べる最高峰の博物館を作らなければ、人は能登まで足を運ばない」と決意。当時、東西冷戦の末期からソビエト連邦崩壊に至る歴史の特異点に着目し、外務省を通さず直接モスクワやワシントンの宇宙機関へ乗り込みました。
公式記録や関係者の証言によると、高野氏は旧ソ連の科学アカデミー宇宙研究所(IKI)やNASAの幹部へ粘り強く手紙を送り続け、ときには自ら現地へ飛んで「米ソの宇宙平和利用の象徴として、極東の小さな町で未来の子供たちに見せたい」と情熱をぶつけました。折しも旧ソ連崩壊直後の混乱期、軍事機密の塊だった宇宙開発遺産が外貨獲得のために流出しかけていたタイミングが重なります。旧ソ連側から「羽咋市の熱意になら託せる」と信頼を勝ち取り、破格の条件で国家機密級の宇宙船を買い取る、あるいは永久貸与を受ける奇跡的な契約を結ぶことに成功しました。これが、コスモアイル羽咋にNASA 実機やロシア本物の機体が並ぶ歴史的真相です。