図越利一の生涯と伝説|京都裏面史の巨頭・会津小鉄会三代目の真実

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強大な権力を誇った図越利一も、加齢とともに後継問題と直面することになります。自らの引退にあたり、図越はまず実力派幹部であった高山登久太郎に四代目の座を譲り、自らは総裁(最高顧問的立場)へと退きました。この高山体制下において、組織は「四代目会津小鉄会」へと改称され、暴対法施行を前に近代的な組織防衛を固めていくことになります。

しかし、図越利一の血統に対するこだわりは完全に消え去ったわけではありませんでした。1997年2月、高山四代目の引退に伴い、図越利一の実子である図越利次が五代目を襲名します。翌1998年12月には「五代目会津小鉄会」へと組織名を正式改称し、創始者一族への権力回帰が図られました。

息子の五代目襲名を見届けた図越利一は、その翌年である1998年7月7日、84歳でこの世を去りました。公式に記録された死因は高齢による衰弱と病死(自然死)でした。昭和の裏社会を血風とともに駆け抜けた怪物としては、自らのベッドの上で天寿を全うするという、極めて静かな幕引きでした。

しかし、図越利一の死後、その家系と組織は大きな歴史の荒波に呑まれることになります。父が命懸けで守り抜いた「京都独立」の旗印は時代の変化に抗えず、2005年、五代目・図越利次は六代目山口組の司忍組長と代紋違いの舎弟盃を交わすに至りました。父が頑なに拒み続けた山口組の軍門に事実上降る形となったこの出来事は、京都裏面史における一つの時代の完全な終焉を象徴していました。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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