札幌時計台ビルの真実とがっかりの真相|歴史からテナントまで徹底検証

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現在の札幌市中央区北1条西2丁目に建つ時計台の正式名称は、国指定重要文化財「旧札幌農学校演武場」です。1878年(明治11年)10月、初代教頭であったウィリアム・S・クラーク博士の構想に基づき、2代教頭ウィリアム・ホイーラーが基本設計を行って建設されました。当時は北海道大学の前身である札幌農学校の敷地内であり、周辺は広大な原野と農場が広がる開拓の最前線でした。

かつて牧歌的な風景の中にあった木造建造物が、なぜ現在のようにコンクリートビルに包囲されるに至ったのか。その転換点は1903年(明治36年)の札幌農学校の北区への移転でした。キャンパス全体が現在の北海道大学の場所へ移る際、演武場だけが現在地(旧所在地から約100メートル南東)へと曳家(ひきいえ)され、札幌区(現・札幌市)に買い取られたのです。

決定的な景観の変化が起きたのは、1972年(昭和47年)の札幌冬季オリンピック前後の高度経済成長期でした。札幌市中心部のメインストリートである北1条通り周辺は、金融機関や大手企業の支社が集まる北海道最大のビジネス街へと急速に変貌を遂害。都市計画法に基づく容積率の緩和に伴い、敷地境界のすぐ際まで地上8〜10階建て以上のビルが林立することになりました。その結果として、19世紀の木造2階建て建築がビル群の谷底に取り残されたような特異な景観が完成したという経緯が存在します。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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