エベレスト眠れる美女の真相|遺体の現在と遭難の悲劇
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1998年5月、フランシス・アルセンティエフ(当時40歳)は、ロシア屈指の熟練登山家であった夫のセルゲイ・アルセンティエフとともに、エベレスト北稜ルートからのアタックを開始しました。フランシスが掲げた目標は「アメリカ人女性として初となる酸素ボンベを使わない無酸素登頂」という歴史的快挙でした。
標高8,000メートルを超えるデスゾーンでは、大気中の酸素濃度が平地の3分の1以下に激減し、人間が滞在するだけで肉体が急速に壊死していきます。二人は5月20日に最終キャンプを出発したものの、悪天候と極度の疲労により前進を阻まれ、デスゾーン内でのビバーク(野営)を余儀なくされました。無酸素状態での長期滞在は、登山家にとって致命的な判断ミスとなります。
5月22日、執念で登頂を果たしたものの、下山を開始した時点で二人の体力と判断力は限界を迎えていました。猛吹雪と酸素欠乏による錯乱状態のなかで二人ははぐれ、フランシスは標高約8,600メートルの岩場で動けなくなってしまいます。先にキャンプへ戻ったセルゲイは、妻がいないことに気づくや否や、酸素ボンベと医薬品を手に猛吹雪のデスゾーンへと単身引き返しました。しかし、これがセルゲイの生前の最後の姿となりました。