終戦宰相・鈴木貫太郎の知られざる真相|昭和天皇が託した和平の決断

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作家・半藤一利の名著であり映画化もされた『日本のいちばん長い日』では、1945年8月の御前会議から宮城事件(皇居占拠クーデター未遂)に至る息詰まる攻防が描かれています。その中心で飄々と、かつ冷徹に盤面を動かしていたのが鈴木貫太郎でした。

鈴木のキャリアにおいて現在でも議論の的となるのが、1945年7月26日に米英中から突きつけられたポツダム宣言への対応です。7月28日の記者会見において、鈴木は宣言に対し「重要なる価値あるものにあらずしてこれを黙殺し、断固戦争完遂に邁進する」と表明しました。

この「黙殺」という表現が海外通信社によって「Reject(拒否する)」と英訳され、アメリカによる原子爆弾投下の口実を与えたとする批判が長年語り継がれてきました。しかし防衛研究所の史料や当時の側近たちの証言によると、鈴木の真意は「ノーコメント(事態の推移を見守るため静観する)」にありました。強硬論を唱える軍部を抑えつつ、水面下で進めていたソ連仲介による和平の返答を待つための時間稼ぎだったのです。言葉の解釈のズレが悲劇的なタイミングと重なったことは歴史の痛恨事ですが、鈴木自身が和平を拒絶していなかったことは、直後の行動が如実に証明しています。

8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下、そしてソ連の対日参戦。鈴木は「もはや一刻の猶予もない」と確信し、最高戦争指導会議を開催しました。議論が「国体護持のみを条件とする即時受諾」と「自主武装解除や戦犯裁判の自主管理を含む4条件要求」で3対3の膠着状態に陥ると、鈴木は憲政史上前例のない奇策に出ます。昭和天皇の御前で自ら立ち上がり、「意見の対立が解けない以上、恐れ多いことながら天皇陛下の大御心(聖断)を仰ぎたい」と頭を下げたのです。

この鈴木の捨て身の演出によって昭和天皇による歴史的な「聖断」が下され、ポツダム宣言受諾が正式に決定しました。直後、陸軍青年将校らによる反乱(宮城事件)が勃発し、鈴木の私邸も襲撃され焼き払われましたが、鈴木は間一髪で避難し、8月15日の玉音放送を見届けた後、内閣総辞職という形で自らの役目を完遂しました。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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