特攻を9度生還した佐々木友次の真相|軍命に抗い抜いた合理的思考
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佐々木友次が配属されたのは、1944年(昭和19年)10月にフィリピンで編成された陸軍最初の航空特攻部隊である「万朶隊(ばんだたい)」でした。搭乗機は九九式双発軽爆撃機。軍上層部が求めたのは、機体ごと敵艦に突入して確実に命を散らす「必死」の攻撃でした。
しかし、佐々木伍長は1944年11月12日の初出撃を皮切りに、ルソン島沖やレイテ湾方面へ幾度となく出撃を繰り返しながら、そのすべてから基地へと帰還しました。当時の軍部にとって、特攻隊員の帰還は「軍神」としての戦果発表と矛盾する極めて不都合な事態でした。実際、第1回の出撃直後、大本営は「佐々木伍長をはじめとする万朶隊員が敵艦に突入し壮烈な戦死を遂げた」と誤った公式発表を行い、佐々木友次は書類上、二階級特進して戦死者扱いとされていたのです。
彼が生還できた決定的な理由は、感情論に流されない卓越した操縦技術と冷徹な状況判断力にありました。初出撃の際、佐々木は米軍艦艇に向けて急降下し、体当たり寸前で爆弾を投下、敵艦に命中させてから機首を引き起こして戦場を離脱しました。機体トラブルや猛烈なスコールに見舞われた際にも、無駄に海へ突入することなく、滑走路へ機体を滑り込ませています。彼は「死ぬこと」を目的にせず、常に「敵を撃破し、次の戦いに備えること」を行動規範としていました。