なぜ自然遺産ではないのか?富士山が文化遺産に選ばれた真相と軌跡

なぜ自然遺産ではないのか?富士山が文化遺産に選ばれた真相と軌跡の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

方針転換を結実させた結果、富士山がユネスコ世界遺産委員会で正式に登録されたのは2013年6月22日のことでした。第37回世界遺産委員会(カンボジア・プノンペン開催)において決定された正式登録名称は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」です。この名称こそが、富士山が世界遺産として認められた核心的な理由を物語っています。

古代の日本人は、噴火を繰り返す荒ぶる富士山を神の宿る山として畏怖し、その怒りを鎮めるために麓に神社を建立しました。その起源が富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社であり、主祭神である木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)への信仰が全国へと広がっていきます。平安時代後期に火山活動が沈静化すると、山頂に登ること自体が修行となる修験道の霊山へと変貌を遂げました。

さらに江戸時代中期には、庶民の間で「富士講」と呼ばれる山岳信仰運動が爆発的な流行を見せます。指導者である長谷川角行らの教えを汲み、白装束に身を包んだ講中(信者グループ)が列をなして登頂を目指しました。身体的・経済的理由で富士山へ旅立てない人々のために、江戸の街中には富士山の土や溶岩を取り寄せて模倣した「富士塚」が数多く築かれました。日常のすぐそばに富士を祈る空間を作り出すという、世界にも類を見ない重層的な信仰文化が花開いたのです。

もう一つの柱が「芸術の源泉」です。『万葉集』の山上憶良や山部赤人の和歌に始まり、『竹取物語』などの古典文学、そして江戸後期の葛飾北斎による『富嶽三十六景』や歌川広重の『東海道五十三次』に至るまで、富士山は無数の創作活動を刺激し続けました。北斎の浮世絵は海を越えてヨーロッパへ渡り、モネやゴッホといった印象派の巨匠たちに決定的なジャポニスムの衝撃を与えました。一過性の自然美にとどまらず、地球規模で人々の美意識を変革させた源泉としての文化的価値が、ユネスコに「顕著な普遍的価値(OUV)」として認められた決定打となったのです。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest