天智天皇と天武天皇は兄弟か?非兄弟説の真相と壬申の乱の闇

天智天皇と天武天皇は兄弟か?非兄弟説の真相と壬申の乱の闇に関するポイントを詳しくまとめました。専門的な情報をご覧ください。

二人の関係性を語る際、長年ドラマや小説で好んで描かれてきたのが女流歌人・額田王をめぐる愛憎劇です。『万葉集』に収められた、蒲生野の遊猟における有名な贈答歌がその象徴として語り継がれてきました。

「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」(額田王)
「紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも」(大海人皇子)

人妻となった額田王に対し、公衆の面前で袖を振る大海人皇子と、それをたしなめつつ情熱を返す額田王。この歌から「中大兄が弟から額田王を奪い、それが兄弟の骨肉の争いへ発展した」という通説が定着しました。しかし、古代宮廷文学の研究や木簡の解読が進んだ現在、この三角関係説は歴史的事実というよりも、宴席を盛り上げるための宮廷的座興(風流宮廷歌)であったという見解が有力です。公の猟場で繰り広げられた歌のやり取りは、儀礼的なパフォーマンスであり、個人的な色恋沙汰が国家の動乱を引き起こしたわけではありません。

二人の間に生じた真の亀裂は、大化の改新との関係と、その後の国際情勢がもたらした政治的危機の対応にありました。645年の乙巳の変において、中大兄皇子は中臣鎌足(藤原鎌足)らとともに蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を滅亡させました。この政変を契機に推進された急進的な権力集中路線に対し、地方豪族や伝統勢力との協調を重んじる現実派との間に徐々に溝が生じ始めます。

決定打となったのは、663年の「白村江の戦い」における壊滅的大敗です。唐・新羅の連合軍に対し百済復興を支援すべく巨額の国費と兵力を投じた中大兄の対外強硬策は、大敗北という最悪の結果を招きました。本土決戦の恐怖に怯える中大兄は、防人を九州に配置し、水城や朝鮮式山城を急造。さらに防衛上の都合から、伝統的な大和の地を捨てて琵琶湖西岸の近江大津宮へと強行遷都を行います。この性急な国家総動員体制と遷都の強行は、豪族層のみならず民衆の塗炭の苦しみを呼び、政権内部の不満は頂点に達していました。この混乱期において、中大兄の専制路線に批判的な視線を注ぎ、豪族勢力の受け皿となっていったのが、地方と深いつながりを持つ大海人皇子だったのです。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest