なぜ小さな島国が巨万の富を?琉球王国の中継貿易と衰退の真相を徹底解説

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当時の琉球人が自らの立ち位置をどう認識していたのかは、1458年に尚泰久王の命によって鋳造され、首里城正殿に掛けられた「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」の銘文に明確に刻まれています。

「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鍾(あつ)め、大明を以て輔車となし、日域を以て唇歯となす。此の二間の中に在りて湧出する所の蓬莱島なり。舟楫(しゅうしゅう)を以て万国の津梁(架け橋)となし、異産至宝は十方界に充満せり」

銘文にある「舟楫(船と櫂)をもって万国の津梁(世界の架け橋)となる」という宣言は、単なる修辞ではありません。首里王府が編纂した公的外交文書集『歴代宝案(れきだいほうあん)』には、1420年代から1570年代にかけてマラッカ、シャム、パタニ、ジャワ、スマトラなど東南アジア各地へ派遣された膨大な数の公文書が記録されています。

首里城は単なる王宮ではなく、那覇港(現在の那覇市)に直結した「国際貿易の最高意思決定センター」でした。那覇港には「親見世(おやみせ)」と呼ばれる税関・通商管理組織が置かれ、入港する外国船の積み荷検査から宿舎の提供、価格交渉に至るまで、国家主導の統制貿易が厳格に敷かれていたのです。

斉藤 蓮

斉藤 蓮

デジタルマーケティングコンサルタント

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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