佐藤浩市と三國連太郎の確執と和解の真相|寛一郎へ繋ぐ名優の系譜
佐藤浩市と三國連太郎の確執と和解の真相|寛一郎へ繋ぐ名優の系譜にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。
和解を果たした二人は、晩年には2011年の映画『大鹿村騒動記』などでも息の合った共演を見せ、穏やかな関係を築いていきました。しかし別れの時は突然訪れます。2013年4月14日、三國連太郎は急性心不全のため、90歳でこの世を去りました。
三國が生前に遺した言葉は、徹底して無頼な役者人生を貫くものでした。「戒名はいらない。散骨して誰にも知らせずに逝く」「三國連太郎のファンを失望させるような葬式はするな」という、どこまでも孤高を貫く遺言だったと明かされています。
喪主を務めた佐藤浩市は、記者会見で父への思いを問われ、静かにこう語りました。
「父親としては本当にひどい男だったが、役者としては神仏のような怪物だった。最期まで三國連太郎の看板を下ろさずに生き抜いた父を、役者として心から尊敬しています」
愛憎入り混じった複雑な半生を乗り越えた息子だからこそ言える、最大の賛辞と敬意に満ちた言葉でした。確執を越えて結ばれた親子の絆は、死という別れを迎えてなお、不滅の伝説として日本映画史に刻まれたのです。