フライデー襲撃事件の真相|ビートたけし激怒の理由と現在への教訓
フライデー襲撃事件の真相|ビートたけし激怒の理由と現在への教訓の要点を丁寧に掘り下げてご紹介します。
深夜の連絡を受けた弟子たちは、師匠のただならぬ気迫に呼応する形で集結しました。これが後にメディアで大々的に報じられたたけし軍団 講談社 突入メンバーの行動へとつながります。
12月9日午前3時過ぎ、ビートたけしとたけし軍団のメンバー計12名は、講談社本館のエレベーターで上階の『FRIDAY』編集部へ乗り込みました。突入メンバーには、そのまんま東(現・東国原英夫)、ガダルカナル・タカ、ダンカン、松尾伴内、柳ユーレイ(現・柳憂怜)、グレート義太夫、キドカラー大道、サンスーシー阪本、お宮の松(当時は見習い)らが名を連ねていました。
編集部内で「話を聞け」と詰め寄るたけし側と編集部員の間で激しい揉み合いが発生。備え付けの粉末消火器を噴射し、雨傘や素手による殴打で編集長を含む講談社社員数名に全治1〜2週間の軽傷を負わせる暴行へと発展しました。通報を受けて駆けつけた警視庁大塚警察署の捜査員により、ビートたけしをはじめとする突入メンバー全員が暴力行為等処罰法違反の現行犯で逮捕されます。
警視庁での身柄拘束と取り調べを経て、ビートたけしは12月11日に東京拘置所から保釈・釈放されました。その後の刑事裁判において、東京地方裁判所は1987年6月10日、ビートたけしに対し懲役6か月・執行猶予2年(求刑:懲役8か月)の有罪判決を言い渡しました。判決文では暴力的手段の違法性を厳しく断じつつも、被害者側である雑誌社の取材態度に行き過ぎがあった点を認め、情状酌量が行われたことが明記されています。