田川後藤寺駅の現在とは?炭鉱の遺構と治安の噂、再開発の真実

田川後藤寺駅の現在とは?炭鉱の遺構と治安の噂、再開発の真実とは一体何なのか? 背景や要点を簡潔に解説します。

田川後藤寺駅の歴史を紐解くことは、筑豊炭田の興亡史を辿ることそのものです。1896年(明治29年)、豊州鉄道の駅として開業した当駅は、当初「後藤寺駅」と名付けられました。三井田川鉱業所をはじめとする巨大炭鉱から産出される「黒いダイヤ」を八幡製鐵所や門司港へと運ぶため、駅構内には無数の側線が敷き詰められ、貨物列車が休む間もなく行き交っていたのです。

鉄道省から日本国有鉄道(国鉄)へと時代が移り変わる中、1982年(昭和57年)には伊田駅が田川伊田駅へ、後藤寺駅が田川後藤寺駅へと改称され、田川市の二大ターミナルとしての都市的アイデンティティが明確化されました。炭鉱の閉山に伴い貨物輸送こそ終焉を迎えたものの、旅客駅としての重要性は失われませんでした。

現在、当駅には小倉方面と日田・添田方面を結ぶJR日田彦山線、新飯塚駅へ一直線に抜けるJR後藤寺線、そして旧国鉄特定地方交通線を継承した平成筑豊鉄道糸田線の合計3路線が接続しています。さらに、2017年の九州北部豪雨で被災した日田彦山線添田〜日田間が2023年夏に復旧・開業させた日田彦山線BRTひこぼしラインの運用以降、添田駅での鉄道・BRT乗り継ぎルートを通じて大分県境や日田市街へのアクセスを結ぶ要所としても、田川後藤寺駅の広域的役割は再定義されています。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest