【徹底解説】東大全共闘とは?エリート学生が安田講堂に立てこもった真相

【徹底解説】東大全共闘とは?エリート学生が安田講堂に立てこもった真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。

同時期に日本の学生運動の二大潮流を形成したのが、日本大学における「日大全共闘」です。同じ「全共闘」という名称を冠しながらも、その発生要因、組織構成、そして掲げた運動理念には決定的な違いが存在していました。当時の警察白書や取材資料を紐解くと、両者の性格は対極にあったことがわかります。

比較項目東大全共闘日大全共闘編集部の分析・評価運動の直接的原因医学部の誤認処分、機動隊導入への学問的怒り約22億円の使途不明金(裏金)発覚、検閲と圧政理念・自尊心の危機(東大)対 実利・不正への告発(日大)指導者・リーダー層山本義隆(大学院理学系研究科・物理学専攻)秋田明大(経済学部学生)孤高の天才理論家(山本)対 庶民派の扇動家(秋田)中心スローガン「大学解体」「自己否定」「産学協同反対」「不正理事会の退陣」「学生会館の管理権奪還」抽象的・倫理的葛藤(東大)対 具体的・生活防衛闘争(日大)動員規模と闘争形態数千人規模。討論と立てこもりによる知的な膠着数万人規模(両国講堂に3万5千人集結)。激しい肉弾戦大衆動員力ではマンモス大学の日大が圧倒歴史的結末安田講堂陥落、1969年入試中止で運動終息大学側が一旦協定を結ぶも、当局の弾圧で分裂・鎮圧ともに学内の抜本的改革には至らず敗北に終わる

日大全共闘は、理事会による巨額の裏金工作や体育会系学生による恐怖政治という、きわめて明白な「悪」に対する怒りでした。学費値上げ反対や言論の自由を勝ち取るための闘争であり、ある意味で極めて健全かつ正当な権利行使だったと言えます。

対照的に東大全共闘は、「自分たち東大生は、国家権力や独占資本に奉仕する官僚・経営者予備軍に過ぎないのではないか」という内面的な罪悪感(ギルト・コンプレックス)を燃料としていました。社会的には勝者であるはずの若者が、己の立場そのものを否定しにかかるというパラドキシカルな運動形態こそが、東大紛争を特異かつ陰鬱なものにした要因です。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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