足利義政の妻・日野富子の生涯|日本三大悪女の真相と蓄財術の全貌
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日野富子は永享12年(1440年)、名門公家である日野家の蔵人頭・日野重政の娘として生を受けました。日野家は代々、足利将軍家に正室を送り出してきた「将軍の御台所(みだいどころ)」を輩出する最高格式の家柄です。第3代将軍・足利義満の妻である日野康子や、第6代将軍・足利義教の妻である日野重子など、幕府中枢と深く結びついた血統でした。
富子は宝徳5年(1453年)、わずか16歳で第8代将軍・足利義政の正室として嫁ぎました。当時、室町幕府は度重なる土一揆や飢饉、守護大名同士の権力闘争に揺れており、将軍家を支える強固な後継体制が急務とされていました。
嫁いだ富子を待ち受けていたのは、過酷な権力闘争と家庭内の不和でした。義政の母・日野重子や側室・今参局(いままいりのつぼね)との確執、初陣のプレッシャーから政治逃避を繰り返す夫・義政。長男の夭折を経て、寛正6年(1465年)に待望の嫡男・足利義尚を出産したことで、富子の権力への意志と政治的介入は決定的な局面を迎えることになります。