県名と県庁所在地が違う県はいくつ?廃藩置県の謎と語呂合わせ暗記法

県名と県庁所在地が違う県はいくつ?廃藩置県の謎と語呂合わせ暗記法について詳しく解説いたします。専門家の見解をご確認ください。

日本全国でなぜこれほどまでに「県名と都市名の一致・不一致」が入り乱れているのでしょうか。その根源は、1871年(明治4年)7月に断行された廃藩置県とその後の激動の統治改革にあります。

江戸幕府が崩壊した直後、明治政府は旧藩の支配領域をほぼそのまま行政区画へスライドさせました。その結果、誕生した自治体は実に3府302県という膨大な数に達しました。飛び地が全国に複雑に入り組み、年貢の徴収や治安維持は極めて非効率な状態に陥っていたのです。

財政基盤を早急に確立し、欧米列強に対抗できる中央集権体制を急ぐ明治政府は、同年11月には「3府72県」へと統廃合を一気に加速させました。この激変期において、県名と県庁所在地が分かれる決定的なパターンが形成されました。

パターン1:複数地域の合併による「中間地名・郡名」の採用

複数の有力な藩や町が一つに統合される際、旧城下町の名をそのまま県名にしてしまうと、編入された側の武士階層や住民から激しい反発が起きるリスクがありました。一例を挙げると、尾張名古屋藩を中心とした地域では、名古屋県と三河の額田県が合併する際、特定の都市色を薄める配慮として、県庁所在地の郡名である「愛知郡(あいちぐん)」が採用されて愛知県となりました。島根県(島根郡松江)や山梨県(山梨郡甲府)も同様の行政的融和を意図した命名です。

パターン2:行政上の都合による県庁の移転

栃木県では当初、旧日光街道の要衝であった栃木町(現在の栃木市)に県庁が置かれ、県名もそこから採られました。しかし、鉄道網の敷設計画や北関東全体の産業振興、さらには軍事的な要衝としての利便性を考慮した結果、1884年(明治17年)に県庁が経済規模の大きい宇都宮へと移転しました。県庁が移転しても慣れ親しんだ県名自体は改称されず、結果として「栃木県宇都宮市」というズレが固定化されました。

パターン3:開港場と古い地名の主客逆転

神奈川県や兵庫県は、幕末の開国政策が直接的な背景となっています。江戸幕府は日米修好通商条約において「神奈川」や「兵庫」を開港場と定めましたが、外国人居留地との摩擦を恐れ、実際には少し離れた寒村であった「横浜村」や「神戸村」を造成して港を開きました。明治政府が発足した当初は由緒ある宿場町・港湾名を行政組織の名(神奈川裁判所・兵庫裁判所等)に掲げましたが、実態としての都市機能は急速に発展した横浜と神戸に完全に集中したため、現在の組み合わせが生まれました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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