憶良らは今は罷らむ子泣くらむの現代語訳と意味|宴会中座の真相と文法を徹底解剖
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文法上の美しさを理解したうえで、多くの人が抱く最大の疑問があります。それは「なぜ、宴の席で子どもを口実にして帰宅しようとしたのか?」という点です。
奈良時代、神亀5年(728年)から天平2年(730年)頃、九州の軍事・外交を統括する大宰府のトップ「大宰帥(だざいのそち)」として赴任していたのが大伴旅人(おおとものたびと)でした。旅人は妻を任地で亡くした深い悲しみを抱えながらも、自邸に文化人官僚たちを招き、かの有名な「令和」の元号の典拠となった「梅花の宴」に代表される先進的な文芸サロンを主宰していました。
その大宰府において、旅人の部下である筑前守(ちくぜんのかみ)を務めていたのが山上憶良です。憶良はこの当時、60代後半から70歳近かったことが判明しています。奈良時代の平均寿命から考えれば、紛れもない高齢者です。
そのような長老の高官が、酒宴も盛り上がっている最中に「憶良めはお先に失礼します。家で幼い子が泣いているでしょうし、妻も待っていますので」と宣言する光景を想像してみてください。現代で言えば、70歳の重役が社長の主催する役員懇親会で「孫でもなく、自分の赤ん坊が待っているから帰る」と発言するようなものです。周囲の列席者がどよめき、そして大笑いしたであろうことは想像に難くありません。