滋賀県の県庁所在地は大津市!なぜ南端に?歴史の真相とアクセスを徹底解説
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「なぜ大津市なのに県名は滋賀県なのか?」という疑問は、明治維新直後の統治区分再編プロセスを紐解くことで明快に理解できます。
明治4年(1871年7月)の廃藩置県直後、近江国(現在の滋賀県)には膳所県、彦根県、宮川県など多数の小県が分立していました。同年11月の大規模な統廃合により、近江国は南部を管轄する「大津県」(県庁:大津)と、北部を管轄する「犬上県」(県庁:彦根)の2県に集約されます。
転機が訪れたのは翌明治5年(1872年1月)です。大津県は県庁の置かれていた郡の名前にちなみ、「滋賀県」へと改称されました。当時、明治政府は旧藩名や幕府直轄の都市名と区別するため、県庁が所在する郡名(大津が属していた「滋賀郡」)を県名に採用する方針を全国的に推し進めていました。
そして同年明治5年(1872年9月)、犬上県が滋賀県に編入合併され、旧近江国全域をひとつの県域とする現在の滋賀県が誕生しました。この際、統合新県の県庁はそのまま大津(旧滋賀県庁)に置かれたため、「滋賀県・県庁所在地大津市」という組み合わせが定着したのです。
なお、1876年(明治9年)から1881年(明治14年)にかけての5年間は、福井県の嶺南地方(旧若狭国および越前国敦賀郡)も滋賀県に編入されていました。日本海側まで管轄が広がっていた時代があり、その際も大津が広大な滋賀県の行政中枢を担っていました。