三島由紀夫の墓はどこに?多磨霊園の平岡家墓所と遺骨盗難事件の全真相

三島由紀夫の墓はどこに?多磨霊園の平岡家墓所と遺骨盗難事件の全真相について知っておくべき 事実を分かりやすく解説いたします。

三島由紀夫の墓所を理解する上で避けて通れないのが、1970年(昭和45年)11月25日に起きた「三島事件(市ヶ谷駐屯地占拠事件)」の経緯です。自ら主宰した民間防衛組織「楯の会」のメンバー4名(森田必勝、小賀正義、小川正洋、古賀浩靖)を伴い、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に押し入った三島は、益田兼利総監を監禁。バルコニーから自衛隊員に向けて憲法改正と自衛隊の決起を促す檄文を撒き、演説を行いました。

演説後、総監室に戻った三島は割腹自決を遂げ、学生長であった森田必勝が介錯を務めた後に自らも切腹して果てました。戦後日本の精神的空洞化に警鐘を鳴らし、命を賭して美意識と国家観を貫いたこの事件は、日本国内のみならず全世界に激震を走らせました。

事件後、三島には「彰武院文鑑公威居士(しょうぶいんぶんかんこういこじ)」という戒名が授けられました。「武を彰(あきら)かにし、文の鑑(かがみ)となった公威」という意味を持つこの戒名は、文武両道を極限まで突き詰めた三島の苛烈な生涯を象徴しています。一方、共に散った森田必勝の墓は故郷である三重県四日市市の修福寺に建立され、現在も関係者によって手厚く供養されています。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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