朝鮮王はなぜ清皇帝へ土下座した?「三田渡の屈辱」衝撃の真相を徹底解説

朝鮮王はなぜ清皇帝へ土下座した?「三田渡の屈辱」衝撃の真相を徹底解説についての疑問解決ガイドをお届けします。

事態の引き金となったのは、1636年に発生した「丙子の乱」だ。満洲族を率いて勢力を拡大していたホンタイジは、国号を「清」と改め、自ら皇帝を称した。そして朝鮮に対し、それまでの「兄弟の関係」から完全な臣従を迫る「君臣の関係」への変更を強硬に要求したのである。

だが、明への義理と儒教的な道徳観を重んじる朝鮮の朝廷は、これを冒涜と受け止めて拒絶。これに激怒したホンタイジは自ら十数万の大軍を率い、破竹の勢いで朝鮮本土へ侵攻した。清の電撃戦の前に防衛線は次々と突破され、仁祖は首都・漢城を脱出して南漢山城(ナムハンサンソン)へと逃げ込むしかなかった。孤立無援の山城で、47日間に及ぶ極限状態の戦いが始まったのである。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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