8時だよ全員集合の最高視聴率50%と終了の真相!土8戦争の裏側
8時だよ全員集合の最高視聴率50%と終了の真相!土8戦争の裏側を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を分かりやすく展開します。
全国各地の市民会館や公会堂から毎週生中継を行っていたため、予期せぬトラブルは日常茶飯事でした。その中でもテレビ史に語り継がれる最大のハプニングが、1973年2月24日に発生した「山形停電事件」です。
山形県県民会館からの生放送開始直前、会場周辺の電柱事故により会場全体が完全な暗闇に包まれました。中継車からの電源確保も間に合わず、午後8時の時報とともに全国へ流れたのは、真っ暗な画面と中継スタッフの緊迫した怒号でした。放送事故寸前の極限状態のなか、いかりや長介は懐中電灯のわずかな明かりを頼りにステージへ立ち、マイクを通さない肉声で客席を煽り続けました。
「停電ですが、間もなく点きます!ラジオだと思って聞いてください!」と機転を利かせ、加藤茶や仲本工事、高木ブー、当時のメンバーだった荒井注も手拍子で場を繋ぎました。放送開始から約9分後に照明が復旧すると、会場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれ、そのまま何事もなかったかのようにオープニングへと突入。この模様はそのまま全国のお茶の間へ届けられ、ハプニングすらも最高のエンターテインメントへと変貌させたのです。
他にもセットの小道具から出火したボヤ騒ぎをメンバーがアドリブで消火しながら進行した回や、回転舞台が途中で停止する事態など、幾度となく訪れた危機を生の舞台度胸と阿吽の呼吸で乗り越えていきました。