模造紙とは何を模造したのか?全国の呼び名格差と賢い選び方を徹底取材
模造紙とは何を模造したのか?全国の呼び名格差と賢い選び方を徹底取材についての疑問解決ガイドをお届けします。
「模造」という言葉には、どこか偽物やコピー品といったネガティブな語感が漂います。しかし、模造紙の由来を紐解くと、そこには明治日本の威信をかけた驚くべき技術競争と産業スパイ劇さながらのドラマが存在していました。
歴史の起点は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会に遡ります。近代国家としての存在感を示すべく、明治政府は日本伝統の手漉き和紙である「越前鳥の子紙(えちぜんとりのこし)」を出品しました。鶏の卵の殻のような上品な淡黄色と滑らかな肌触り、そして数百年耐えうる強靱さを誇る鳥の子紙は、ヨーロッパの製紙関係者に強い衝撃を与えました。
その美しさに目をつけたオーストリアの製紙メーカーが、当時実用化が進んでいた木材パルプと化学薬品を用いて、鳥の子紙の質感と光沢を機械抄きで再現した模造紙(Simili Paper)を開発したのです。表面にツヤがあり、インクの滲みが少ないこの用紙はヨーロッパで大評判となり、やがて日本にも高級印刷用紙として輸入されるようになりました。
自国の伝統和紙を西洋の近代技術で真似され、逆輸入される事態に危機感を募らせたのが大蔵省印刷局(現・独立行政法人国立印刷局)でした。印刷局抄紙部は威信をかけ、輸入されたオーストリア製模造紙の科学分析に着手。三田製紙所などの民間技術者とともに試行錯誤を重ね、1878年(明治11年)、国産の機械抄き化学パルプを用いて同等以上の光沢と強度を持つ紙の開発に成功しました。
この紙は当初、印刷局が開発したことから「局用紙」と呼ばれましたが、のちに民間へ技術移転される過程で「鳥の子紙を模造した西洋紙を、さらに模造した紙」という意味を込め、製紙業界で「模造紙(局用模造紙)」という正式名称が定着しました。模造紙とは安物の代用品ではなく、日本の伝統美を洋紙技術で奪還した明治期のハイテクの結晶だったのです。