東風吹かば匂いおこせよ梅の花|菅原道真の現代語訳と飛梅伝説の真相
東風吹かば匂いおこせよ梅の花|菅原道真の現代語訳と飛梅伝説の真相の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。
菅原道真がこの悲痛な歌を詠むに至った歴史的事件が、昌泰4(901)年1月に勃発した「昌泰の変」です。当時、道真は学者出身(文人貴族)でありながら異例の出世を遂げ、従二位・右大臣という国家最高幹部の座に就いていました。これを信任し登用したのが宇多上皇です。
しかし、皇室の外戚として権力を独占しようとしていた藤原氏、とりわけ若き左大臣・藤原時平にとって、道真の存在は政治的宿敵でした。醍醐天皇の治世への移行に伴い、時平らは「道真が娘婿である斉世親王を皇位に就け、醍醐天皇を廃立しようと企んでいる」という事実無根の讒言(ざんげん)を巡らせます。
突如として大宰権帥(だざいごんのそち)への左遷を命じられた道真には、自弁の弁明の機会すら与えられませんでした。「大宰権帥」という官職は名目上こそ高官ですが、実質的には給与も従者も制限された過酷な流罪同然の処遇でした。妻子とも引き裂かれ、護送されるように京を離れる寸前、かつて紅梅殿の庭先で愛でていた梅の木を前にして詠み落としたのが、本作「東風吹かば」だったのです。