有栖川宮記念公園が人を惹きつける理由|南麻布の名園を徹底解剖
有栖川宮記念公園が人を惹きつける理由|南麻布の名園を徹底解剖の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。
有栖川宮記念公園の成り立ちを辿ると、江戸時代の武家屋敷から近代皇室の御用地へと至る日本の近代史が色濃く反映されていることが分かります。
江戸時代初期、この地は赤穂藩主として知られる浅野大学の下屋敷でした。その後、元禄期に盛岡藩主・南部美濃守の下屋敷となり、江戸郊外の自然美を活かした屋敷庭園が築かれました。明治29年(1896年)、この土地を有栖川宮熾仁親王の後を継いだ有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)の御用地として宮内省が買い上げ、現在の公園の基礎が形作られます。
大正2年(1913年)に威仁親王が薨去された後、大正天皇の第3皇子である高松宮宣仁親王が有栖川宮の旧称を受け継ぎました。その後、高松宮殿下は「有栖川宮の由緒ある地を後世に残し、広く東京市民の健康維持と保養に役立ててほしい」との崇高な思し召しから、御用地の敷地約1万1,000坪(当時の平米数換算で約3万6,000平方メートル)を東京市へ下賜されました。
東京市による大規模な整備を経て、1934年(昭和9年)11月17日に記念公園として開園。1975年(昭和50年)には東京都から港区へ移管され、現在に至ります。園内の広場中央に威風堂々とそびえる有栖川宮威仁親王銅像は、大日本帝国海軍の元帥海軍大将であった親王の軍服姿を写した力作であり、本園が宮廷文化の気品を今に伝えるモニュメントとして静かに歴史を物語っています。