我が子を食らうサトゥルヌスにゴヤが込めた狂気の真相

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ゴヤがこの絵を描いたのは、70代半ばを過ぎた1819年から1823年頃のことです。重病によって聴覚を完全に失い、ナポレオン軍の侵攻によるスペイン独立戦争の虐殺と社会の荒廃を目の当たりにしたゴヤは、マドリード郊外のマンサナーレス川沿いに購入した別荘「聾者の家(キンタ・デル・ソルド)」に隠棲しました。

ゴヤはこの家の1階と2階の漆喰壁に、誰に見せる意図もなく14点に及ぶグロテスクで陰惨な絵画群を直接描きなぐりました。これが今日「黒い絵」と呼ばれる連作です。『我が子を食らうサトゥルヌス』は、なんと1階の食堂の壁面に描かれていました。

日々の食事をとる空間に、なぜこれほどのおぞましい図像を配置したのか。美術史の研究者たちによる当時の書簡や記録の調査では、重度の難聴による孤独、自らの死期への怯え、そして衰えゆく肉体への絶望がゴヤを支配していたことが指摘されています。また、スペイン国内で吹き荒れた絶対王政復古の反動政治によって、自由主義的な希望が国家権力(父)によって次々と弾圧(捕食)されていく社会への絶望的な告発であったという解釈も有力です。

ゴヤの死後、建物は人手に渡り荒廃しましたが、1870年代にフランスの銀行家エミール・デルランジェ男爵の資金援助によって壁からカンヴァスへと慎重に移送(トランスファー)されました。その後スペイン政府へ寄贈され、現在はプラド美術館の専用展示室において、訪れる世界中の鑑賞者を圧倒し続けています。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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