凌遅刑の歴史と真相|なぜ生きたまま肉を削ぐ残虐刑は清末まで続いたのか

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中国の歴史において、国家権力が科してきた処刑・拷問の方法は凌遅刑だけではありません。殷(商)の時代から明代・清代に至るまで、統治の危機が訪れるたびに数多くの苛烈な刑罰が生み出されました。

歴代王朝で執行された代表的な酷刑の系譜を整理すると、権力が罪人の肉体をいかに記号化し、恐怖の演出に利用してきたかが浮き彫りになります。

  • 腰斬(ようざん):受刑者の胴体を巨大な押し切り刀(鍘刀)で真っ二つに両断する刑。内臓の主要動脈が切断されても脳への血流が一時的に保たれるため、上半身だけの状態で意識が数分間保たれ、極限のたうち回ると恐れられた。清の雍正帝の時代に廃止。
  • 車裂(しゃれつ):両手両足と首に縄をかけ、5頭の馬や牛に結びつけて別々の方向に引かせる刑。別名「五馬分屍」。戦国時代の秦で法家思想を推し進めた商鞅(しょうおう)自身が、政争に敗れてこの刑に処された逸話は名高い。
  • 剥皮(はくひ):人間の皮膚を生きたまま、あるいは死後すぐに背中から切り開いて丸剥ぎにする刑。明の初代皇帝・朱元璋は汚職官僚を極端に憎み、賄賂を受け取った官吏の皮を剥いで藁を詰め、後任者の執務机の脇に飾って警告とした。
  • 烹煮(ほうしゃ):巨大な大釜に油や湯を満たし、罪人を放り込んで煮殺す刑。古代から戦国時代、楚漢戦争の時期などに敵対勢力への見せしめとして多用された。
  • 醢刑(かいけい):罪人の身体を刃物で細かく叩き切り、肉塩辛(塩漬け)にして臣下に配る古代の刑罰。孔子の高弟・子路が衛の内乱でこの刑に処され、悲報を聞いた孔子が家中の塩辛をすべて捨てさせたという逸話が残る。

これらの酷刑と比較しても、凌遅刑が特異だったのは「儀礼化された時間の長さ」にあります。車裂や腰斬が肉体の破壊を一瞬あるいは短時間で行うのに対し、凌遅刑は何時間、時には何日もかけて公衆の面前で肉体を解体していくプロセスそのものが刑罰でした。観衆を「恐怖の共犯者」として巻き込む劇場型処刑の頂点に位置していたのです。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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