崇徳天皇の怨霊はなぜ最恐なのか?血書の呪いと皇室震撼の真相
崇徳天皇の怨霊はなぜ最恐なのか?血書の呪いと皇室震撼の真相について押さえておきたい ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。
崇徳上皇の怨霊に対する恐怖は、中世だけで終わりませんでした。幕末から明治維新の激動期、この呪いに終止符を打つべく動いたのが明治天皇です。
慶応4年(1868年)、明治天皇は即位の儀を行う直前、讃岐の白峰陵へ特使を派遣しました。「700年以上にわたり京都を離れていた崇徳院の御霊を都へお迎えし、国家の守護神になっていただく」という強い決意のもと、京都に白峯神宮を創建。御霊を讃岐から京都へと遷座させ、異例とも言える徹底した慰霊を行ったのです。
幕府を倒して天皇親政の近代国家を築こうとした明治天皇にとって、皇室を呪い続けた崇徳院の鎮魂は、国家の命運をかけた最優先事項でした。怨霊をただ封じるのではなく、最高の敬意を払って都に迎え入れることで、700年におよぶ祟りの連鎖に歴史的な終止符が打たれたのです。