玉藻の前の正体と九尾の狐伝説|鳥羽上皇を惑わした真相と割れた殺生石

玉藻の前の正体と九尾の狐伝説|鳥羽上皇を惑わした真相と割れた殺生石を徹底追究! 知っておきたい 情報と解説を凝縮して配信します。

宮中を追われた白面金毛九尾の狐は、下野国(現在の栃木県)の那須野原へと逃亡しました。朝廷は放置を許さず、三浦介義明(みうらのすけよしあき)と上総介広常(かずさのすけひろつね)という東国屈指の猛将を召集し、約8万とも伝えられる大討伐軍を結成します。これが今に伝わる那須野原伝説の始まりです。

武士たちは犬追物(いぬおうもの)で弓術の腕を磨き、那須の大地をくまなく捜索しました。討伐隊の包囲網を前に、妖狐は幻術を用いて激しく抵抗したものの、三浦介が放った神矢がその胸を射貫き、上総介の太刀によってついに討ち取られました。しかし、怪異は肉体の滅亡によって終わりを迎えたわけではありませんでした。

息絶えた狐の怨念は、毒気を吐き出す巨大な巨石へと変貌を遂げます。石に近づく鳥や獣、旅人は立ちどころに息絶え、人々はその石を「殺生石」と呼んで畏怖しました。南北朝時代になり、名僧・玄翁和尚(げんのうおしょう)が現地を訪れ、大喝とともに払子で巨石を一閃。石を打ち砕いて怨念を解脱させ、飛散した破片が日本各地の「高田」や「玄翁」の地名、あるいは石工道具の玄能(げんのう)の語源になったという伝承が残されています。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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