お〜いお茶俳句大賞がひどい?選考基準の闇と炎上疑惑を徹底検証
お〜いお茶俳句大賞がひどい?選考基準の闇と炎上疑惑を徹底検証とはどのようなものなのか? 背景や要点を丁寧に紐解いて紹介します。
「お〜いお茶の俳句はレベルが低い」というネット上の言説には、大きな誤解と視点のすれ違いが含まれています。多くの人が見落としている盲点は、伊藤園が募集しているのは「俳句」ではなく、あくまで商標でもある「新俳句」であるという事実です。
俳句の歴史において、高浜虚子らが提唱した「花鳥諷詠・客観写生」の有季定型文学と、河東碧梧桐や種田山頭火、尾崎放哉らに連なる「自由律俳句」は、過去100年以上にわたり激しい論争を繰り返してきました。伊藤園が1989年に提唱した「新俳句」は、この自由律の系譜を汲みつつ、さらに門戸を広げて「五・七・五のリズムさえ心地よければ季語も文語旧仮名遣いも不要」とした現代の大衆文化表現です。
したがって、「季語が入っていないから俳句として失格だ」「切れ字の余韻がないからつまらない」という批判は、サッカーの試合を見ながら「なぜ手を使わないのか」と批判しているようなジャンル違いの難癖に近い側面を持ちます。伊藤園俳句大賞 入選のコツと特徴を分析すると、古典的な文法知識や教養をひけらかした句ほど早い段階で選外となり、「子供の目線」「家族の温もり」「誰にでも情景が浮かぶ平易な単語」で構成された句が入選作の大多数を占めていることが分かります。玄人受けする技巧派の句が落ち、素人の素朴な句がボトルに載る現象は、制度の欠陥ではなく、意図された設計思想なのです。