トルコの首都はどこ?地図で解くアンカラ遷都の真相と位置関係
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なぜ歴史ある大都市イスタンブールを捨て、アナトリアの内陸都市アンカラへ拠点を移したのか。この疑問を解く鍵は、第一次世界大戦末期から1923年の共和国建国に至る激動の歴史にあります。
第一次世界大戦で同盟国側に立って敗北したオスマン帝国は、1918年に連合国軍によって帝都イスタンブールを占領されました。イギリス、フランス、イタリアなどの軍艦がボスポラス海峡に居座り、宮廷は事実上、諸外国の傀儡と化したのです。海岸線に面した都市は、圧倒的な海軍力を持つ列強諸国に対してあまりにも脆弱でした。
この国家的危機に立ち上がったのが、「建国の父」としてトルコ国民から今なお絶大な敬意を集めるムスタファ・ケマル・アタテュルクです。アタテュルクは、外国軍の砲艦射程内にあるイスタンブールを脱出し、防衛に適したアナトリア奥地へと拠点を移しました。当時のアンカラは人口数万人程度の埃っぽい田舎町でしたが、ベルリン・バグダード鉄道の支線が通っており、電信網が生きていたため、軍事指揮と連絡の中継拠点として理想的だったのです。
アタテュルクは1920年にアンカラで「大国民議会」を開設し、トルコ独立戦争の指揮を執りました。祖国防衛を成功させ、1923年7月のローザンヌ条約によって独立を勝ち取った後、同年10月13日に議会はアンカラを正式な首都と宣言。そのわずか16日後の10月29日、トルコ共和国の樹立が宣言されました。
当時の記録文書や側近の手記において、アタテュルクは遷都の意義を次のように語っています。「新国家の首都は、あらゆる軍事的威嚇から隔絶されたアナトリアの心臓部に置かれねばならない。また、過去の腐敗した封建制度やスルタンの影が残る宮廷都市と完全に決別し、清潔で近代的な共和国の象徴を一から建設する必要がある」。つまり、防衛上の安全保障と、過去の遺物からの精神的決別という2つの強い意志が、アンカラ遷都の決定打となったのです。