護送船団方式とは?大蔵省支配の崩壊理由と現代に残る影を徹底検証
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では、なぜあれほど強固に見えた大蔵省主導のシステムは瓦解したのでしょうか。その直接的な引き金となったのが、1980年代から進んだ金融自由化と規制緩和の経緯、そして1990年代初頭のバブル崩壊です。
1980年代に入ると、日米貿易摩擦の激化やグローバル化を背景に、資本市場の自由化を求める外圧が一気に高まりました。優良な大企業は銀行融資に頼らず、社債発行や株式公開など資本市場から直接資金を調達できるようになります。優良な貸出先を失った銀行は、余剰資金を不動産融資やノンバンクへの投融資へと雪崩を打って流し込みました。行政もまた、右肩上がりの地価神話を過信し、その危険な融資拡大を実質的に見過ごしてしまったのです。
1990年代初頭にバブルが崩壊すると、不動産担保価値は暴落。金融機関が抱え込んだ不良債権問題は最終的に約100兆円規模という天文学的数字に達しました。従来の護送船団方式であれば、体力の弱った金融機関を大手行が合併・吸収して救済(いわゆる救済合併方式)し、表面化を防ぐのが定石でした。しかし、不良債権の傷口があまりに巨大化しすぎたため、もはや上位銀行にも他行を救う余力は残っていませんでした。
決定打となったのは1997年11月の金融危機です。名門都市銀行の一角であった北海道拓殖銀行が経営破綻し、四大証券の一角を占めた山一證券が自主廃業を発表。日本中を揺るがせたこの連鎖破綻により、「大蔵省がついていれば大企業は絶対に潰れない」という神話は完全に消滅しました。
さらに追討ちをかけたのが、大蔵省官僚への過剰接待が刑事事件へと発展した接待汚職スキャンダルです。大蔵省に対する国民の信頼は失墜し、橋本龍太郎内閣が掲げた「金融ビッグバン(日本版金融市場改革)」によって、市場原理(フリー・フェア・グローバル)の導入が加速。1998年には金融行政が大蔵省から切り離されて金融監督庁(現・金融庁)が発足し、大蔵省主導の護送船団方式は名実ともに歴史の幕を下ろしました。