楽天を創ったもう一人の天才・三木谷晴子夫人の正体と現在の資産
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1995年の阪神・淡路大震災を契機に、浩史氏は「一度きりの人生、国家と社会のためにリスクを取って新しい産業を創る」と決意し、エリートコースを約束されていた興銀を退職します。世間の大半がインターネット通販など「絶対に成功するはずがない」と冷笑していた1997年2月、楽天の前身である「株式会社エム・エム・エス」が設立されました。
当時の拠点は、東京都目黒区の簡素な雑居ビルの一室。机数台と数台のパソコンが置かれただけの現場で、浩史氏が集めた創業メンバーはわずか6名でした。その最前線で、実務の舵取りを一手に担ったのが晴子夫人です。
浩史氏が全国の商店街や中小企業へ泥臭い営業に飛び回り、「インターネットで物が売れるわけがない」という頑なな固定観念と戦っていた裏で、晴子夫人は経理・財務・法務・総務・人事というバックオフィス全般を完璧に統括していました。興銀時代に培った緻密な財務管理能力とガバナンスへの嗅覚を活かし、キャッシュフローの破綻を未然に防ぎ続けたのです。初期メンバーとして現場を共にした関係者は、当時の様子を次のように振り返っています。
「三木谷さんがアクセルを床が抜けるほど踏み込み続ける天才肌の突撃隊長だとすれば、晴子さんはブレーキの効き具合と燃料の残量をミリ単位で管理する冷静なナビゲーターでした。彼女の現実的で冷静な判断がなければ、初期の楽天は急成長の歪みで空中分解していたはずです」
晴子夫人は創業初期に取締役や監査役といった重要ポストを務め、制度設計やコンプライアンスの基礎を構築しました。彼女は「創業者夫人」ではなく、名実ともに楽天という巨大テックをゼロから立ち上げた共同創業者の一人として歴史に刻まれるべき存在です。