東急の父・五島慶太の真実|強盗慶太と呼ばれた怪物と家系図の現在

東急の父・五島慶太の真実|強盗慶太と呼ばれた怪物と家系図の現在にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

五島慶太の人生において最大の巨大権力化と、その直後の壊滅的失脚を経験したのが太平洋戦争の時代でした。戦時体制下の1938年に制定された国家総動員法と陸上交通事業調整法を追い風に、慶太は東京南西部から神奈川県に広がる私鉄網の強烈な再編に乗り出します。小田急電鉄、京王電気軌道、京浜電気鉄道などを次々と傘下に収め、営業キロ数数百キロに及ぶ怪物トラスト「大東急(東京急行電鉄)」を現出させました。

その卓越した統制力と輸送力確保の手腕を買われ、1944(昭和19)年には東條英機内閣の運輸通信大臣に就任。続く小磯國昭内閣でも留任し、空襲激化の中で国家の補給路を守る重責を担いました。しかし、1945年8月の敗戦によって状況は暗転します。軍部政権の大臣を務めた経歴からA級戦犯容疑での取り調べを受け、1947年にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって公職追放処分を受ける憂き目に遭いました。

慶太の失脚に伴い、強権的に束ねられていた大東急は空中分解を起こします。1948年、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、小田急電鉄、京浜急行電鉄が相次いで独立・分離。帝国と称された大東急は解体されました。しかし慶太は決して腐りませんでした。追放中も黒幕としてグループの再建計画を練り続け、1951年に公職追放が解除されるや否や、東京急行電鉄の会長として電撃復帰。残された東横線・目蒲線・田園都市線エリアを再び中核として、高度経済成長の波に乗る新たな東急グループの飛躍を主導したのです。

山下 哲也

山下 哲也

自動車・モビリティライター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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