東京の県庁所在地はどこ?新宿と東京どちらが正解か歴史から徹底検証
東京の県庁所在地はどこ?新宿と東京どちらが正解か歴史から徹底検証の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
この表記問題の根底には、日本の近代史における特異な都市再編劇が深く関わっています。かつて日本には、現在の東京23区のエリアに「東京市」という広大かつ人口集中が進んだ市が存在していました。
歴史の転換点となったのは、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日に施行された「東京都制」です。戦時体制下における強力な一元統制を実現するため、広域行政を担っていた「東京府」と、都市運営を担っていた「東京市」が廃止・統合され、新たに「東京都」が誕生しました。この時、従来の東京市役所は解体され、東京市が抱えていた35区(後の再編で23区)は、東京都の直轄下に置かれることになったのです。この東京市廃止の経緯によって、日本から「東京市」という基礎自治体は完全に消滅しました。
戦後、復興期から高度経済成長期にかけて、東京都庁は現在の千代田区丸の内・有楽町エリア(現在の東京国際フォーラムの所在地)に置かれていました。世界的建築家・丹下健三氏が設計したモダニズム建築の旧都庁舎は、名実ともに首都の中枢として機能していました。しかし、昭和後期の東京は急激な経済成長と人口集中により、庁舎の深刻な老朽化と狭隘化に直面します。業務スペースが不足した結果、都の部局は有楽町周辺の十数棟の民間ビルに分散し、年間の民間賃料支払いは数十億円規模に膨らみ、行政効率は著しく低下していました。
この危機的状況を打破するため、当時の鈴木俊一都知事が強力に推進したのが「西新宿への東京都庁舎移転」でした。都心の過密を緩和し、副都心新宿を新たな発展拠点として位置付ける巨大プロジェクトです。1991年(平成3年)4月1日、有楽町から西新宿へと都庁舎が正式に移転。新都庁舎を手掛けたのも旧庁舎と同じく丹下健三氏であり、高さ243メートルの超高層ツインタワーは新時代の首都の象徴となりました。この移転によって、条例上の所在地が「千代田区有楽町」から「新宿区西新宿」へと書き換えられ、現在に至る「新宿か東京か」の議論がより一層クローズアップされることになったのです。