野島掩体壕の内部と現在|横浜・巨大地下軍事遺構の真相を追う
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横浜市金沢区の戦争遺跡を語る上で欠かせないのが、かつて隣接する夏島・追浜地区に存在した横須賀海軍航空隊(追浜飛行場)の存在です。日本海軍航空発祥の地として知られる追浜飛行場(現在の工場用地周辺)には、大戦末期、本土防空の切り札として期待された最新鋭戦闘機「紫電改」や艦上爆撃機「彗星」、陸上爆撃機「銀河」などが配備されていました。
昭和20年(1945年)初頭、米軍による本土空襲が激しさを増す中、むき出しの滑走路に機体を駐機させておくことは全滅を意味していました。そこで海軍施設本部および第三〇〇設営隊の手によって、昭和20年3月15日に野島山を東西に掘り抜く大規模なトンネル型掩体壕の建設が開始されたのです。5月29日の横浜大空襲という破滅的な戦火を挟みながら、昼夜を分かたぬ突貫工事が進められ、わずか約3か月半後の昭和20年6月30日に本体工事が完成しました。
この地下施設は単なる退避壕ではなく、内部で航空機の整備・点検を行い、必要に応じて直接滑走路方面へ射出・移動できる地下格納庫としての機能を追求したものでした。しかし、完成からわずか1か月半後の8月15日に終戦を迎えたため、軍事拠点としての真価を発揮する機会はほぼ訪れないまま、巨大な空洞だけが歴史の証人として野島山の中枢に残されることとなりました。