坂下門外の変の真相とは?桜田門外との違いと幕府失墜の分岐点

坂下門外の変の真相とは?桜田門外との違いと幕府失墜の分岐点について押さえておきたい ポイントを厳選して解説いたします。

水戸藩浪士を中心とする志士たちは、なぜここまで強烈な殺意を抱いていたのでしょうか。その引き金を引いたのが、安藤信正が主導した「公武合体」路線の最大の目玉、すなわち第14代将軍・徳川家茂への「和宮降嫁」でした。

安政の大獄で吹き荒れた弾圧の嵐と、その報復として起きた桜田門外の変によって、徳川幕府の求心力は底をついていました。朝廷の権威を借りて幕藩体制を再構築しようとした安藤は、孝明天皇の異母妹である和宮(親子内親王)を将軍の御台所として迎え入れる政略結婚を強行します。朝廷側は「破約攘夷(開国通商条約の破棄と鎖国への回帰)」を条件に降嫁を認めましたが、安藤にとってそれは時間稼ぎの方便に過ぎず、海外列強との貿易維持を前提とした現実路線を進めていました。

この幕府の二枚舌とも取れる政治姿勢が、京都や江戸に潜伏する過激な尊皇攘夷運動の活動家たちには「朝廷を欺き、皇女を人質に取って幕府の延命を図る大逆無道」と映りました。当時流布された斬奸状(ざんかんじょう)には、朝廷を冒涜し外夷に屈服する安藤信正への激しい憎悪が克明に記されています。幕府を救うための起死回生の一手であったはずの和宮降嫁こそが、安藤自身の命を縮める最大の火種となったのです。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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