徒然なるままにの本当の意味とは?単なる暇つぶしではない兼好の真相
徒然なるままにの本当の意味とは?単なる暇つぶしではない兼好の真相についての真相をご紹介します。
インターネット上のQ&AサイトやSNS、古文を学ぶ受験生のコミュニティでは、兼好法師に対して奇妙な誤解が根強く見られます。「兼好法師って定職にも就かずに親の遺産や寺の施しでダラダラ暮らしていたニートなのか?」「暇を持て余したおじいちゃんが愚痴を垂れ流しただけのブログ」といった軽薄な揶揄も散見されます。
しかし、当時の記録や史料から「徒然草 執筆理由」を追跡すると、そうした認識が180度覆されます。兼好法師(本名・卜部兼好)は、京都の吉田神社の神職の家系に生まれ、若い頃は堀川具守に仕え、後二条天皇の身辺警護や雑務を担う六位蔵人(ろくいのくろうど)というエリート宮廷官人でした。宮廷の栄華も政治の裏側も知り尽くした一流の実務家だったのです。
彼が30歳前後で突然出家した理由は諸説ありますが、信頼していた後宇多上皇の死や、鎌倉幕府の衰退から南北朝の内乱へと向かう社会秩序の崩壊が背景にありました。武士たちの血みどろの権力闘争、昨日までの栄華が一夜にして灰燼に帰す無常の世において、兼好法師が選んだのは「世俗の権力争いからあえて降りる」という生き方でした。
つまり『徒然草』は、暇で仕方がない無職の暇つぶしではなく、国家規模の動乱期において「いかに世間に迎合せず、精神の尊厳を保って生き抜くか」を追究した知識人のサバイバルドキュメントだったのです。当時の手記や私家集を分析する研究者からも、「兼好の筆致にある冷徹な人間観察は、現実逃避ではなく、動乱社会を生き抜くための研ぎ澄まされたリアリズムの産物」と評価されています。