小和田家の実家売却はなぜ?目黒邸解体の真相と現在の姿を追う
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雅子さまが外交官時代を過ごし、皇太子妃(当時)に内定した際に「私の心の中で大切に温めてまいりました」と語った歴史的会見の舞台でもある目黒区南の小和田邸。ネット上や一部週刊誌では「莫大な相続税対策か」「名家凋落の兆候か」といったセンセーショナルな言説が散見されますが、関係者取材と不動産登記の経緯を丹念に追うと、まったく異なる現実的な背景が浮かび上がります。
売却に至った最大の契機は、小和田恒氏と優美子夫妻のライフステージの変化と空き家問題の深刻化でした。恒氏は2003年に国際司法裁判所(ICJ)判事に就任し、2009年からは日本人初の所長を務めるなど、長年にわたりオランダ・ハーグを生活拠点としていました。日本を離れていた期間、目黒の自宅は事実上の長期留守宅となり、植栽の手入れや防犯設備の維持は親族や限られた管理関係者に頼らざるを得ない状態が続いていたのです。
2018年に恒氏がICJ判事を退任して完全帰国した際、恒氏は80代後半、妻の優美子氏も80歳を超えていました。90代を迎える高齢の夫妻にとって、2階建てで階段が多く、広大な敷地を持つ旧邸での生活は、バリアフリーの観点から極めて身体的負担が大きいものでした。近隣住民からも「帰国後も目黒のお宅に恒さまがお戻りになる様子はほとんど見られず、時折業者が換気や庭の手入れに入る程度だった」という証言が聞かれます。
夫妻が選んだのは、都心の高度な医療機関に近く、24時間のセキュリティとフラットな生活動線が確保されたマンションへの移住でした。子ども世代である雅子さまは皇后として皇居・御所で暮らされ、妹の池田礼子氏や渋谷節子氏もそれぞれ独立した生活基盤を持っています。引き継ぎ手のない広大な戸建て住宅を放置すれば、特定空家として防犯・防災上のリスクを抱えることになりかねません。「子どもたちに管理責任という重荷を残さない」という、極めて合理的かつ現代的な判断のもとで、小和田家の生前整理・実家じまいが決断されたのです。