パラオで日本語が通じる噂の真相!公用語の謎と旅行の実態を徹底取材
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パラオにおける日本語の浸透と親日感情の根底には、第一次世界大戦後の1914年から約30年間に及んだ日本統治時代(南洋庁管轄)の歴史が存在します。当時、国際連盟の委任統治領となったパラオのコロールには南洋庁本庁が置かれ、行政・産業・教育の中心地として急速な近代化が進められました。
当時、日本政府は島民への初等教育機関として「公学校」を設立し、日本語教育とともに衛生観念や実業教育を普及させました。道路、水道、発電所、病院といった社会基盤の整備に加え、日本人移民と現地島民が日常的に共生していた歴史が、文化的な受容を促進させました。さらに、太平洋戦争末期のペリリュー島やアンガウル島の激戦に際して、日本軍守備隊が島民を事前に本島など安全圏へ疎開させ、現地住民の直接的な戦火被害を極力防ごうとしたエピソードは、語り草として現在も高く評価されています。
戦後、アメリカの信託統治を経て1994年に完全独立を果たした際にも、日本との血統・歴史の絆は強固に保たれました。その象徴が、第5代および第6代大統領を務めたクニオ・ナカムラ(Kunio Nakamura)氏の存在です。三重県伊勢市出身の日本人船大工を父に持つ日系大統領として、独立直後の国家建設を主導し、KBブリッジ(日本・パラオ友好の橋)再建をはじめとする強固な二国間関係を築き上げました。こうした「世代を超えた信頼関係」こそが、パラオ社会における親日感情の盤石な土台となっています。