渋谷の象徴・東急文化会館はなぜ消えた?閉館理由とヒカリエへの系譜
渋谷の象徴・東急文化会館はなぜ消えた?閉館理由とヒカリエへの系譜とはどんな影響があるのか? 詳しい意味を簡潔に解説します。
東急文化会館が誕生したのは、戦後復興の熱気冷めやらぬ1956年(昭和31年)12月1日のことでした。東急グループの創業者である五島慶太の「渋谷を単なる乗り換えの街ではなく、文化と人が集う発信地にしたい」という強い情熱から建設された総合文化施設です。
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設計を担当したのは、世界的な巨匠ル・コルビュジエに師事した日本モダニズム建築の先駆者、坂倉準三です。外壁に落ち着いた色合いのモザイクタイルを配し、機能性と美しさを両立させた開放的な空間デザインは、当時の建築界に大きな衝撃を与えました。館内には大型映画館4館をはじめ、最新の美容室、丸善書店、レストラン、屋上庭園、診療所までが揃い、ここに来れば一日中過ごせる「立体的な街」として圧倒的な評判を呼びました。
昔の写真や資料を振り返ると、駅前の喧騒の中にそびえ立つモダンな外観と、屋上にちょこんと乗った球体ドームがひときわ目を引きます。当時としては極めて先進的な情報発信基地であり、東京の若者や家族連れにとって憧れの目的地でした。