第56代横綱・二代目若乃花の波乱万丈|栄光と病魔に挑んだ真実
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青森県南津軽郡大鰐町に生まれた下山勝則少年は、中学卒業直前の1968年春、初代若乃花が率いる二子山部屋へ入門しました。入門時の四股名は本名と同じ「下山」でしたが、後に初代若乃花が若手時代に名乗っていた「若三杉」へと改名。均整の取れた筋肉質の美しい体躯と、鋭い踏み込みからの左四つ、切れ味鋭い下手投げを武器に、瞬く間に頭角を現しました。
1970年代中盤、大相撲界は空前の大ブームを迎えます。二子山部屋の同門であり、甘いマスクで社会現象を巻き起こした大関・貴ノ花(初代)とともに「貴若(きわか)コンビ」を結成。女性ファンや若年層を国技館へ呼び戻す原動力となりました。1977年5月場所で初優勝を飾って大関へ昇進すると、1978年5月場所では15戦全勝の完全優勝を達成。場所後、満場一致で第56代横綱への昇進を果たしました。
横綱昇進と同時に、師匠の現役時代の名跡である「若乃花」を継承。「若乃花幹士(2代)」となった名横綱は、北の湖や輪島らと鎬を削りながら通算4度の幕内優勝を記録。1983年1月場所、29歳の若さで現役を引退するまで、昭和の土俵に鮮烈な美学を刻み込みました。