ナムコ『ポールポジション』が築いた不滅の金字塔と移植不在の真相
ナムコ『ポールポジション』が築いた不滅の金字塔と移植不在の真相の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。
ビデオゲームの歴史において、1982年は特筆すべき転換点でした。同年7月に発表され、秋口から全国のロケーションで本格稼働を開始した『ポールポジション』は、まさにナムコ レースゲーム 金字塔と呼ぶにふさわしい革新性を備えていました。それまでのレースゲームといえば、タイトーの『スピードレース』やセガの『モナコGP』に代表される真上からの見下ろし型、あるいは簡素な白黒ラインによる遠近法表現が主流でした。しかし本作は、自車の後方斜め上から見据える三人称視点(リアビュー)を採用し、水平線に向かって滑らかにうねるアスファルトを圧倒的なリアリティで描き出しました。
ポールポジション アーケード 稼働年である1982年当時、ハードウェアの制約は極めて厳しいものでした。ナムコの開発チームはその壁を打ち破るべく、メインCPUに16ビットのZ8002を2基、さらにサブ処理用として8ビットのZ80を組み合わせた超ド級のマルチプロセッサ構成を設計。路面のストライプ模様を走査線単位でハードウェアスケーリングさせ、左右の路肩や看板を滑らかに拡大縮小表示させることで、時速200キロを超える極上のスピード感を表現することに成功したのです。
本作の商業的成功は日本国内にとどまりませんでした。北米ではアタリ(Atari)社がライセンス製造・販売を担当し、同年のアーケードオペレーター収益ランキングでトップを独占。ゲームセンターのみならず、全米のピザハウスやボウリング場にまで設置される社会現象となりました。タイムアップ制ではなく「予選(クオリファイ)を突破して本選に進む」というモータースポーツ本来の競技ルールを世界で初めてゲームシステムとして導入した点も、プレイヤーの競争心を強烈に刺激した要因です。