特攻隊生き残り有名人の真実|西村晃や千玄室が生還した理由と戦後

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「一度出撃すれば二度と生きて帰れない」とされた特攻作戦において、特攻隊生還の決定的な理由にはどのような物理的・戦術的要因があったのか。公的戦史記録や防衛省防衛研究所の資料から見えてくるのは、美化されたイメージとは異なる当時の過酷な現場実態です。

特攻隊出撃後生還した理由の最多を占めるのは、機体の初期不良とエンジントラブルです。大戦末期の日本軍は熟練工の召集や資材不足により、航空機の製造品質が著しく低下していました。整備不十分な機体は離陸直後に油圧低下やエンジン停止を引き起こし、やむを得ず基地へ引き返すか、途中の孤島や海岸へ不時着せざるを得ませんでした。

2つ目の理由は、悪天候と視界不良による索敵失敗です。当時の特攻機には最新のレーダーや航法装置が搭載されておらず、視界不良の雲海やスコールに突入すると米艦隊を発見できなくなりました。「敵艦を発見できない場合は無駄死にを避け、帰還して再出撃せよ」という公式命令(軍令)が存在していたため、燃料の限界を考慮して基地へ引き返す事例が頻発しました。

そして極めて特異な例として歴史に刻まれているのが、佐々木友次9回生還の真相です。陸軍最初の特攻隊「万朶隊(ばんだたい)」の隊員としてフィリピン戦線に出撃した佐々木友次伍長(当時)は、上官から「死んで来い」と命令されながらも、指導教官であった岩本益四郎軍曹の教えである「敵艦は爆撃で沈め、生きて帰って何度でも戦え」という信念を貫きました。

佐々木氏は特攻機に改造された機体から爆弾を投下する技術を保持しており、体当たりをせず敵艦に爆弾を命中させて帰還。軍上層部から「なぜ死ななかった」と激しく叱責され、戦死公報が既に出されていたため何度も再出撃を命じられましたが、計9回出撃してその都度生還を果たしました。盲目的な自爆命令に対し、軍人としての本分と合理的技術で対抗した稀有な事例です。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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