なぜ朝廷は東北を狙ったのか?蝦夷征伐の真相とアテルイの激闘

なぜ朝廷は東北を狙ったのか?蝦夷征伐の真相とアテルイの激闘とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。

774年に勃発した「三十八年戦争」は、朝廷の圧倒的な軍事的優位という楽観的な予測を根底から打ち砕きました。北上川流域を生活拠点とする蝦夷の人々は、中央軍が持ち得ない高い騎射技術と土地勘を武器に、果敢な抵抗を展開します。

その頂点となったのが、789年の「巣伏(すぶせ)の戦い」です。朝廷の征東大使・紀古佐美(きのこさみ)率いる約5万の大軍に対し、蝦夷の軍事指導者・アテルイはわずか1,500名ほどの精鋭で迎え撃ちました。アテルイは少数の囮部隊を用いて朝廷軍を北上川東岸の湿地帯へと誘い込み、退路を断ったうえで挟撃。地の利を活かした猛攻撃により、朝廷軍は溺死者・戦死者を合わせて1,000名を超える大惨敗を喫しました。

『続日本紀』には、官軍の兵士が我先にと川に飛び込み、溺れ死ぬ惨状が克明に記されています。当時の報告書によれば、朝廷側の動員力は圧倒的だったものの、徴兵された農民兵の士気は極めて低く、アテルイ率いる遊撃部隊の機動力の前に成す術がありませんでした。この敗戦により、朝廷の威信は失墜し、東北政策は根本的な見直しを迫られることになります。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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