細木数子と島倉千代子の絶縁真相|巨額借金と興行権の愛憎劇を総括

話題沸騰中の 細木数子と島倉千代子の絶縁真相|巨額借金と興行権の愛憎劇を総括について、詳しいまとめをご紹介しています。

細木数子さんの元を逃げ出した後も、島倉千代子さんの受難は終わりませんでした。1980年代半ばには、信頼していた女性マネージャーによる新たな横領手形トラブルが発覚し、再び数億円単位の負債を抱えることになります。「もう歌をやめたい」と遺書を書くほど追い詰められた島倉さんを救ったのは、作詞家・中山大三郎氏との出会いと、1987年にリリースされたシングル『人生いろいろ』でした。

独特の小首をかしげるチャーミングな振り付けと、「死んでしまおうなんて悩んだりしたわ」という自らの壮絶な半生を肯定する歌詞は日本全国で共感を呼び、シングル売上は130万枚を突破。島倉さんは第30回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、自らの歌声で残存する借金を完済する奇跡の復活劇を成し遂げました。

一方、細木数子さんは2000年代にバラエティ番組『ズバリ言うわよ!』などで視聴率女王として大ブレイクすると、番組内やインタビューで「島倉千代子を救ったのは私」としばしば過去の功績を口にするようになります。その中で浮上したのが「島倉家の墓」を巡る確執でした。

細木さんは関係が良好だった時期、島倉さんの不運や金銭トラブルの原因を「先祖供養の怠慢」とし、京都や都内の寺院に島倉家の巨大な墓を建立させたと主張しました。しかし、絶縁後に島倉さん側は「墓の権利や維持管理費用を巡って法外な要求があった」「実質的に細木氏の意向で建立されたものであり、心の平安を得られるものではなかった」として距離を置き、最終的に島倉千代子さんは品川区の東海寺大山墓地にある実母や家族が眠る墓所を安住の地として選びました。恩義を形に残そうとした「墓」すらも、二人の間では支配の象徴として軋轢を生む火種となってしまったのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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