万里の長城を作った人は誰?始皇帝の野望と知られざる建設の真相
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北京郊外の八達嶺(はたつれい)や慕田峪(ぼでんよく)など、現在多くの観光客が訪れる石造りやレンガ造りの強固な長城は、実は秦代のものではありません。その大半は、14世紀から17世紀にかけて中国を統治した「明代」に建造・改修された長城です。
明の時代、モンゴル高原へ退いた元朝の残党(北元)やタタール部、オイラト部といった北方勢力からの軍事的圧力は再び高まりました。歴代の明皇帝、とりわけ第3代永楽帝や後代の指導者たちは首都北京を防衛するため、長城の大規模な再建に着手します。
この時代、明の名将・戚継光(せきけいこう)らが導入したのが、石灰とレンガを用いた強固な建築技術でした。見張り台(敵台)や狼煙台(烽火台)を一定間隔で配置し、火砲を配備できる幅広の通路を備えた近代的な軍事要塞へと進化を遂げたのです。