大逆事件とは何か?幸徳秋水ら処刑の真相と国家が仕組んだ冤罪の闇

大逆事件とは何か?幸徳秋水ら処刑の真相と国家が仕組んだ冤罪の闇についての真相をお届けします。

裁判は1910年12月に大審院(現在の最高裁判所に相当)で始まりましたが、審理はすべて非公開とされ、傍聴すら一切許されませんでした。当時の刑法下において、大逆罪は「一審終審」と規定されており、地方裁判所や控訴院を経ることなく大審院が直接判決を下し、上訴(控訴・上告)の道は完全に閉ざされていたのです。

管野スガが死刑執行直前まで獄中で書き綴った手記『死出の道草』には、法廷の不条理と権力への怒りが生々しく記されています。

「秋水をはじめ、多くの同志は何一つ知らなかった。彼らを巻き込んだのは私の不徳であるが、何の関係もない人々まで死刑台に送るこの国の法官たちは、私たち以上に凶悪な殺人者ではないか」

弁護側には平出修、花井卓蔵、今村力三郎といった当代一流の弁護士が立ち、関与の濃淡を論証して秋水らの無罪を訴えました。しかし、判決期日はわずか1か月余りで設定され、1911年1月18日に死刑宣告。そして判決からわずか6日後の1月24日、幸徳秋水ら11名が、翌25日には管野スガが処刑されました。遺族への面会すらろくに認めない電撃的な死刑執行は、国内外に巨大な戦慄を与えました。

文豪・徳富蘆花はこの暴挙に激怒し、第一高等学校の生徒たちを前にして伝説的な講演「謀叛論」を行いました。「政府は道徳的権威を失った」「謀叛を恐れて進歩を止めてはならない」と訴えた蘆花の叫びは、言論封殺の暗黒時代へ突入していく日本社会への痛切な警告でした。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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