エノラゲイの悲劇とは何か?乗組員の壮絶なその後と展示論争の真相

エノラゲイの悲劇とは何か?乗組員の壮絶なその後と展示論争の真相に関する気になる情報を初心者にも親しみやすくまとめました。今すぐチェックことができます。

1945年8月6日未明、マリアナ諸島テニアン島から飛び立った1機のB-29爆撃機(機体番号44-86292)には、出撃直前に機長であるポール・ティベッツ大佐の実母「エノラ・ゲイ・ヘガード」の名が機首に白ペンキで大書されていました。ティベッツは自著の手記において、母親がかつて周囲の反対を押し切って自身のパイロットへの道を後押ししてくれたことへの感謝と敬意を込めて命名したと述懐しています。

アメリカ軍が極秘裏に進めた「マンハッタン計画」によって開発されたウラン型原爆リトルボーイの投下理由は、米軍公式記録では「日本本土決戦に伴う推定数十万人規模の連合軍将兵の損害を避け、戦争を即時終結させるため」と説明されてきました。しかし、戦後の歴史研究や外交公電の精査においては、対日参戦を控えたソ連に対する核の威嚇や、巨額の国家予算を投じた兵器の実戦効果測定といった複数の軍事・政治的思惑が複雑に絡み合っていた実態が明らかになっています。

投下高度約9,600メートルから放たれたリトルボーイは、広島市上空約600メートルで炸裂。閃光と熱線、超高圧の爆風、そして致死的な放射線が市街を覆い尽くしました。エノラゲイの機首は急旋回して退避行動に入りましたが、その背後には巨大なキノコ雲が立ち昇り、搭乗員たちに底知れぬ衝撃を与えたと記録されています。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest