旧国名・甲斐はなぜ山梨県に?武田信玄の治世と地名由来の真相
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インターネット上の掲示板やSNSでは、甲斐国について「四方を山に隔絶された閉鎖的な内陸部だったのではないか」といった短絡的な見解が散見されます。しかし、一次資料や現地調査が示す実態は全く逆です。
山あいに位置しながらも、甲斐国は古代から極めて開かれたグローバルかつ流通先進地でした。巨摩郡の歴史が示す通り、古代には朝鮮半島からの高句麗系渡来人が積極的に受け入れられ、最先端の騎馬技術や土木技術、織物技術が定着しました。平城京や平安京へ最高品質の軍馬を納める官営牧場が整備され、甲斐は中央政権にとって代えの利かない戦略拠点だったのです。
さらに「海がない」という地理的条件は、かえって流通への強烈なインセンティブを生み出しました。駿河湾で獲れたアワビを醤油漬けにして馬の背に乗せ、富士川沿いや山道を経て甲斐へと運ぶ過程で絶品の味に仕上がる「鮑の煮貝(あわびのにがい)」は、内陸のハンディキャップを卓越した食文化へと昇華させた好例です。塩や海産物を運ぶ中継路として「塩の道」が発達し、物流ネットワークの結節点として機能していた事実を見落としてはなりません。